昭和40年頃からボツボツと家が建ち始めた新しい町は、当然の事ながら天満自治会に新しくできた一つの隣保として生まれました。独立した自治会でありたいとする気持ちは当初から住んでいた皆さんにあったようです。それは @天満地区にありながら田んぼにさえぎられ、位置的にへだてられている A急速な住宅開発によってこの地域が住宅地として発展する事が容易に見通せる B新しい住宅地で遠く離れた他府県や、県内でもこの地域以外の出身者が多く地元とのつながりが薄い C独立する事によって町内のより深い融和と親睦をはかる事ができる D自治会を設立する事によって水路利用負担金が軽減される との理由から昭和48年4月、所属していた天満自治会から分離して98戸の戸数で発祥地の字名をとり安田自治会が発足しました。 (地名の由来) 1、安田地区 安田の地名は全国各地にあり、耕作しやすく、しかも良田で収穫も安定して いる土地だった。検地帳の等級は上が多い。安は田に付ける美称でもある 2、鴨羅地区 現在鴨羅公園を中心とする周辺地域で、14世紀の文献にはカモハラと見える。この時代の集落 は第2砂堆の上にあり、この辺りまでが天満の南端で 蒲の一面に生い茂る湿地で塩除場としての機能を果たしていたと思われる 江戸初期、村前新田が開発されたとき、その南端の土地は蒲原とよび、新田塩徐場であったが、勘兵衛新田が出来ると塩徐場も不必要となって田地化していく。これと同じくカマハラも16世紀にもなると立派な田地となる。 集落が第3砂堆=洲崎に移った頃である。カマハラ→カモハラ→カモラと発音を転化させたものと思われる漢字では鴨羅をあてるようになる。 羅は羅列という熟語があるように つらねる、つらなるの意味がある。 蒲原が田地化しても鴨の飛来する水田で鴨が連なって渉る冬の景色が見られたので鴨羅の字を与えたと考えるが如何なものか |